武術修業回想録
無心流に至るまで
1・型は実戦の雛型ではない
これは私の師匠であり私が18歳から45歳までの27年間師事した
日本武術界の英傑、神速、など様々な異名で呼ばれ武術界における
最高峰の達人と讃えられた黒田鉄山先生(振武舘黒田道場第15代宗家)
の仰れた当時、武術界を震撼させたと言ってもいい一文です。
師事したとはいえ私は何年か通ってはまた別のところ
に行ったり来たりを繰り返していた末席を汚すとは
まさに私の事を言った不肖の弟子であります。
しかしそんな不肖の弟子であり振武舘に舞い戻る私に先生は
黒田先生『榎本の〜また稽古に来れるようになったのか?』
と温かく迎えて下さっておりました。
最後の稽古となってしまった2022年4月の稽古では先生にお会いするのは
3年振りでした。(なぜ3年振りかは別の機会に)
私『先生、ご無沙汰しております。』と言ったら
黒田先生『生きてた?』と仰られて
まさかその日が先生にお会いするのが最後になるとは
思いもしませんでした。
型は実戦の雛型ではないこの一文を読んで当時18歳の
私の脳裏に浮かんだのはヒヨコの映像でした。
当時は先生の仰る事、著書、連載何を読んでもさっぱりでした。
この一文を理解するまでにも何回も読み直してようやく
あーそういうことかと思った始末です。
黒田先生に弟子入りする前は独学で中国武術や合気柔術、
また柔道やボクシングなどに勤しんでおりました。
その中で型は大事だと色んな方から聞きましたが具体的に
どう大事なのか説明出来る人はいませんでした。
また柔道の乱取り、空手の組み手など試合形式の稽古、
他の武道、武術でも実戦を想定した稽古となると
途端に型から大きく外れた動きになっていて
現実的には型は役にたたないと思っておりました。
当時武術、武道を稽古していた多くの方がそう思っていたと思います。
それを変えたのが黒田先生だと言っても過言ではないと思います。
なにより驚いたのが型は武術的な身体の働きを創りだすものであり
その武術的な身体の働きが際限のないパターンのある実戦に
対応しうるのだと言う考えに私は何と素晴らしい考えだと
当時凄く腑に落ちたし何よりこんな理論を唱える方がいらっしゃったのか
と嬉しさと飛び上がりたいほどの喜びに満ちていました。
ただその身体の働きを創りだすことがどれほど難しいかを知らずに
能天気なものでした。
18歳で入門してから2年間ぐらい黒田先生の振武舘に
(大宮武道館での稽古)に通いました。
その頃の振武舘は当時季刊誌だった『秘伝』誌の影響と
甲野善紀先生の影響で私が入門した時は
240畳もある柔道場に100名近くの人が稽古に来ていました。
日曜日などは剣術の素振り稽古で広い柔道場なのに隣の人が
邪魔で振れないぐらい人で埋まっておりました。
しかしそんな状況も1年ぐらいで落ち着いていたように思います。
何より稽古中、黒田先生が全体を回っていくので指導して
頂ける時間はだいたい10分程度でした。
それでも長いほうで日によっては数分などざらでした。
その様な状況でしたので自宅で黒田先生の本やビデオを
見ながらの一人稽古が主体でした。
入門してすぐ私は黒田先生の提唱する力の絶対否定に
基づき日常で力を使うことを捨てました。
さらに足で地面を蹴って歩くことも同時に捨てました。(無足の法)
これらを日常で行うとどうなるか、ちょっと考えればわかると思います。
それは大変な支障が出て来ます。
どういうことかというとちょっとした動作1つも
力を使わないと時間が掛かるようになります。
歩くのも蹴らないと思ったように歩けません。
落ち着くまでに2年ぐらいかかりました。
落ち着いてからも慢性疲労だけはひどかったように思います。
30代になるまで慢性疲労は続きました。
入門後生活を一変した私ですが型はいくらやっても
その姿が見えて参りません。
まったく稽古にならないのです。
また先生がどう動いているかが見えないのです。
そこで黒田先生のビデオシリーズ極意指南の柔術の巻を
(柔術は3巻と6巻と8巻)1日中つけて目を凝らし見ながら
稽古する日々を続けました。
あまりに見過ぎて先生の話しは丸暗記してしまいました。
そのビデオは途中で(確か6、7年後に)テープが擦れて切れて
見れなくなりました。
それほど目を凝らしビデオでの黒田先生の話しを丸暗記するほど
見ても型はまったくその姿を見せてくれませんでした。
見えない、わからない、出来ないの連続でした。
その結果20歳の頃振武舘を離れました。
道場に稽古に行くたびに黒田先生との差をまざまざと突きつけられる。
まだそれは耐えられたように思います。
それよりもこのまま続けて先生の居る場所に
辿り着けると到底思えなかったのです。
結局、28歳になるまでの8年間また違う場所で稽古する事に
なるのですがそれはまた別の機会にさせて頂きます。
さてなぜ28歳にまた振武舘に稽古を再開したか? ですが、
それは8年間でようやく型の稽古が出来るようになったからです。
結局型が私を受け入れてくれるまでに10年の月日を要したということです。
型というのは自然そのものです。
我々人間は不自然に力を使い地面を蹴り生活している。
型はそれを許してくれません。
型に入る、入れて頂くにはそれらを消しやっと型から許しを得て
稽古出来るようになるということです。
とはいえ28歳の私はあくまで型の稽古それも二動作か三動作が
型から拒否されることなく稽古出来るようになった程度です。
まだまだ粗雑な稽古には変わりありませんでした。
そして仕事の関係で関西に移住した私は振武舘の関西稽古会で
黒田先生に再会しました。
私『先生、以前稽古させて頂いおりました榎本と申します。
またよろしくお願い致します。』
黒田先生『なんかいたねぇ〜 はいじゃあ再入門ね〜』
とこんな感じでまた振武舘での稽古が始まりました。
黒田先生は56歳になられてました。
10年前とは比べものにならないぐらい先生の動きは
さらに速く、見えず、そして美しかったです。
何より先生が消えて感じられない、人ではないというのが
再会した時の強烈な印象です。
私がこの回で伝えたいことは型は我々を変えてくれないということです。
自らが力を使わず、蹴りを消して日常を変える事で
型が我々を受け入れてくれる。
型はイコール自然であると私は思います。
(黒田先生も型によって得られる身体は一般的な自然体と区別するなら、
こういう言い方はしたくないが超自然体であると仰っていました)
自然に入るには我々現代人にはそれなりの時間を要すると
いうことを忘れてはいけないのです。
型は自然である
型は我々を変えてくれる、しかしそれには型に入れて頂かないといけない
入れて頂くには力の不使用、足の蹴りを消すことが絶対条件である